マドリード日本人会

読者の方との呼吸が合ってきました(ところで、この”息があう”と言う日本語に相当するスペイン語は何と言うのでしょうか。誰か教えてください)。

これで息と関連する動詞が大分集まりました:

呼吸する Respirar
息を吸う Inspirar
息を吐く Espirar
息を引き取る Expirar
(空気を)吸う Aspirar
共謀する Conspirar  
汗を出す Transpirar

この中では共謀する意味のConspirarが非常に面白く感じました。読者の方の助言では呼吸を共にすると言う意味だそうですが、顔を近づけてひそひそと話をしている様子が目に浮かびます。

なお、日本人に取ると単数と複数の使い分け、冠詞の使い方は一番難しい文法に入ると思いますが、ご質問のLos varios idiomas modernosはご指摘の様にLosがない方が私にも自然に響きます。又、身近なスペイン人に聞きましたが、ない方が良いねと言うことです。だれか適切かつ理論的な説明をしてくれる方が居ると言いのですが。それにしてもこのLosの響きが悪いと感じるこの読者の方のスペイン語の実力は並大抵のものではありませんね。

それにしても、本当に言葉は面白いです。

文責:新村

5 コメント to

“スペイン語愛好会:呼吸-Respiración3”

  1. 読者

    「息があう」というのは良い言葉ですね。「息」というのは心(心臓)と自(鼻)の会意文字で、鼻から心臓へ空気を通すことを表すと辞典に書かれています。漢字のすごいところは、心という字を当てていることです。呼吸を単なる物質代謝と捉えていないように思うのです。東洋人が理解する「心」という言葉を、西洋の言語でずばりと言い当てることは不可能だと思います。息を吸うとは大自然の息吹(生命力)を体内に取り入れること、つまり、自分の心の栄養なのだと「息」という字から感じます。5月3日の記事にある、inspiraciónの霊感に通じますよね。では吐く息はというと、うまく説明できませんが、やはり心を自然の中に返しているような感じがします。そういえば、自分の息を吹き込む吹奏楽器は魂の音だと、スペイン指折りのフルート奏者が言っていました。

    前置きが長くなってしまいましたが、「息が合う(互いの気持ちがぴったり一つになる)」(広辞林)をスペイン語に置き換えると、残念ながら「息」は途絶えてしまうようです。’spirãre’を語源とする単語が見つかりません。このように言うのではないかと思われる表現に、動詞でtener afinidad, congeniar, compenetrarse, estar en sintoníaが挙げられるでしょうか。巷で耳にするestar hechos el uno para el otroも、息が合うをもっと濃くしたような誇張したような言い方ですよね。「読者と呼吸が合う」の場合は、entenderseか、もう少し砕けてconectarse, arrimarseでしょうか。今日は冒頭で余計なことをたくさん書いたので、せっかくの呼吸が乱れてしまうかもしれませんね。

  2. niimura

    コメントを有難うございます。

    日本(あるいは東洋)の文化及び生活の中の息の重要性が言葉の中に生きているのを探し出すのは面白そうです。息があうのはEstoy sintonizado とか me siento sintonizadoと言う表現しか使っていなかったので教えていただいた表現を機会が有る毎に(沢山有るのを願っています)試してみます。こちらの方は波長が合うと言う事ですが、ある人と息が合ったり、波長が合う機会がある事はやはり人生生きていて良かったと思うことですね。

    文責:新村

  3. 木槌

    「息が合う」と「波長が合う」の違いを考えてみました。波長の方は偶然という要素が強く不可抗力的な響きがありますが、息の方は個人の努力によって変化するものと理解します。その時々の精神状態や健康状態で波長が合わなくなることはあるでしょう。人と波長が合わなくなっても、精神的なダメージは少なそうです。

    ところが、息が合わなくなるというのは心の動きが関係しているだけに、痛みが伴うように感じます。こういう微妙な、非常に繊細な「動き」を表現できる日本語は、素晴らしい言語だと思います。

    自分の語学力の足りなさかもしれませんが、スペイン語ではとうてい表すことができません。今回「呼吸」と「言語の種」というまったく違う二つのテーマから、ふだんは気にもかけなかった生命の営みについて考える機会を与えられました。感謝します。

  4. Yoshiro Niimura

    木槌さん
    コメントを有難うございます。
    波長は物理的なものですし、距離があっても届きますが、息はその届く距離が限定されているのでもっと親密な関係が前提になっているのでしょう。従い、息が合わないと、息が詰まってしまい、痛みが伴うのかと考えました。

    日本語が他の言語に比して優れているのかどうかは自信が有りませんが、他の言葉と比べて違いが判り、その結果、日本語にもっと興味を持ったり、日本語の理解が深まったり、更に、スペイン語や他の言語を話す時に微妙な違いを理解しながら話せたら意思疎通ももっとし易くなりそうです。又、そんな違いを子供達にも伝えたいですね。

    文責:新村

  5. 木槌

    言語の優劣を語りたかったわけではないのですが、そのように解釈された方がいらっしゃれば謝罪します。補足説明をしますが、日本語は感性の言語だと常日頃思っています。五七五のわずか17音でできている俳句を見れば、日本語が内に秘める無限の創造性を容易に理解できると思います。5月9日の『言語の種』でもコメントしましたが、心の養分が言葉になるとすれば、四季を愛する日本人が色彩や光彩、音、香り、静寂、そういった自然の中に心を詠む「特性」を理解できます。詠み手の感情を表す言葉を使わずにです。

    例えば夕暮れ時。「夏の夕暮れ」と「秋の夕暮れ」では、そこに感じる色も光も空気も違うはずです。これをスペイン語に直した場合、crepúsculo estival(夏の夕暮れ)、crepúsculo otoñal(秋の夕暮)、自分が日本語を母語とする日本人だからというのも理由ですが、心の色や音が響いてこないのです。単に自分の感性が鈍いために、スペイン語に共鳴できないだけなのかもしれませんが。

    息が合わない痛みというのは、心が通わない痛みのこと。「心」の心筋梗塞で、「言語の樹木」への養分も途絶えてしまうのだろうと、またしても勝手な想像をしています。

    (2つの記事へのコメントがごちゃ混ぜになり、しかも日本語愛好会のようになってしまいました。すみません。)

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