マドリード日本人会

5月28日にスペイン英語教育界第一人者の米国人Richard Vaughanさんを迎えて第五回異業種交流会を開きます。日ごろからスペインで日本人(少なくとも片親が日本人)の家庭の中でスペイン語、更に第三の言語である英語の習得に又は子供に習得させるの苦労されている方には何か参考となるきっかけを手にする事ができるのではないかと期待しています。

そんな時に早稲田大学高等研究所助教授の成田広樹先生(2005年国際基督教大学教養学部卒。2007年上智大学大学院外国語学研究科修士課程修了。2011年ハーバード大学大学院言語学科にて博士号を取得した非常に若い新進気鋭の研究者です)の書いた”言語の種¨と言う記事を読む機会を得ました。”言語の種”つまりヒトのみに認められる言語獲得能力について語っています。確かに自分の子供を見ても日本語とスペイン語(更には他の言語)を習得する事の驚き、スペイン人の家庭に養子となって1歳くらいでスペインに来た中国の女の子が1年も経たないうちにスペイン語を無理なく操るのを見て感心する経験は誰も持っているかと思います。

その過程を研究する事で物質の世界と心の世界を繋ぐつまり”物質と心の二元論的世界の成り立ちを巡る神秘を紐解く糸口をつかむこともできるのではないか”と言う所まで行ける何ともワクワクする様な研究です。一度直接記事や先生のHP見られる事をお勧めします。

文責:新村

8 コメント to

“言語の種:人間だけが如何して言葉を習得できるかの謎解き”

  1. Yoshiro Niimura

    最近は脳に関する研究が進んでいて、人間の脳の不思議さが解明されるようになって来ました。この”言葉の種”も同様で、これについてもっと学んでみたいと思っています。
    そんな時に今回の記事に関連して知人が面白いコメントを送ってくれましたので紹介します:

    『脳とテレパシー』(濱野恵一著)という本の中に、脳梁についてが書かれていました。
    脳梁が発生するのが生後1年からの幼児期で、ちょうど自我が芽生えるときです。
    自我の芽生えというのはつまり自己感覚の発生で、この後、4、5才で完成するそうです。
    12、15才の思春期になると、情報を操作して思考のための思考ができるようになり(形式的操作思考)、
    自己感覚(自我)が脳から分離し、創造力が始まるそうです。
    (この「始まる」というのは備わるのではなくて、もともと内在していたものが発露するという意味です)

    爬虫類型脳は胎芽期1週目の胎長6㎜という受精後3週間、原始哺乳類型脳と新哺乳類型脳は5週間目で発生、
    受精後5、6ヶ月で新哺乳類型脳の頭頂部中央に溝が発生すると書かれていました。
    脳梁というのはずいぶん後になってからできるものなのです。
    また、原始哺乳類型脳と新哺乳類型脳の連絡は、右脳の方が活発だそうです。

    日本人は、本来ならば右脳(音楽脳)で対応する自然界の音を、声として左脳(言語脳)で聞きとっている、ということを証明する研究があるそうです。虫が発する音を、どちらの脳で受け取るかという実験から、日本人は「音」ではなくて、「虫の声」として言語脳で聞いているという結果を得たそうです。この日本型の脳は日本人に限定された遺伝ではなく、「日本語を母語として最初に覚えたか」ということで決まるとのことです。

    この不思議な現象は、脳梁が発生するずっと前の胎児期から始まっているのでしょう。
    自然界の声に耳を傾けるというは、人間の本能、つまり生きるための智恵のような気がします。
    左脳で発芽した「言語の種」は、生後1年から脳梁を通って、
    原始哺乳類型脳で自然の「声」を受信し連絡を密にしている新哺乳類型脳の右半球へつながる、
    そういうことが日本型の脳内では起きているのでしょうか。

    この知人のコメントを聞いて、言葉を覚える事は自然に誰にでも出来る事ですが、考えてみると大変素晴らしい事です。
    例えば日本人が母国語として日本語を習得するのとスペイン語を覚えるのでは違ってくると思いながらハーフ(あるいはダブル)の子供たちと接してみると面白い観察が出来るのではないでしょうか。

    文責:新村

  2. 匿名

    成田広樹さんの『言語の種:ヒトの心の成り立ちにせまる糸口』の中に、「ヒトの日常的言語使用が示す無限の創造性」について書かれています。この創造性の基となるものは「物理科学の説明範囲を超えでた思惟という第二の実態が形作る事象世界」「心の世界」にあると。言語と心の世界の関係に興味を持ちました。

    人間には自由が与えられています。何を思うのも自由です。思いやりから生じる発想も、よこしまな心から生じる発想も、それを口に出すのか行動に移すのかは自由です。科学の力では説明できない「心の世界」にあって「物理法則によって説明し尽くすことができる」「物質の世界」にないもの、それが創造性を内に秘める自由意志だと理解しました。これはすごいことなのだと思います。創造も破壊も人間の自由意志に委ねられているということです。

    意志というのはどこで生まれるのでしょうか。心が体のどこにあるのかわかりませんが、不意に沸き起こる善意や悪意やひらめきというのは、言葉として脳内で発生したのではなく、科学的には何の根拠もなくおなかの中でふっと感じるもののような気がします。(不意=思い考えから生じたものではないと漢字が告げています。)真剣に悩み考えあぐねた結果、閃光のようなインスピレーションを得る。「ああ、そうだったのか」と、納得する段階で言葉が介入する。反対に「いや、それは違うのではないか」と疑問を抱いた場合も、言葉の反芻が起きる。

    つまり、脳が指令を出して自由意志が発動するためには媒介となる言葉が必要となるわけです。(もちろん脳との伝達係は言葉ではなく電気信号ですが。)
    心で湧き出た養分を「言語の種(=言語獲得能力)」から伸びた根が吸い上げ、「ヒト的思惟の根幹」へと運ぶ。言葉となった養分は意志という枝を通り、人間のあらゆる可能性が詰め込まれた葉へ辿り着く。もしも根から運ばれる養分が悪質だった場合は、偽りの言葉となって葉脈を詰まらせてしまうだろうな、などと勝手な想像をしてみました。

    自由な意志で「言語の樹木」を選択できるのならば、芳香を放つ美しい花(実践力)を咲かせ、栄養価の高い美味しい実(創造力)をいっぱいにつける木がいいなと思います。そのためには上質の養分を木の隅々まで行き渡さなければいけませんね。
    ふっと今「実行が伴わない美しいだけの言葉は、色あって香りのない花のようなものである」という釈尊の言葉を思い出しました。

    (記事と関係ない話題ですみません。)

  3. 匿名

    ここヨーロッパでも水の結晶写真で知られている江本勝さんの『水は答えを知っている』という著作の中に、言葉について面白いことが書かれています。長くなってしまいますが、抜粋します。

    「万物が振動しているということは、どんなものでも音を出しているといいかえてもよいでしょう。」
    「言葉とはいったい何でしょうか。聖書には『初めに言葉ありき』と書かれています。宇宙が創造され万物が生み出される前に、まず『言葉』があったと記されているのです。」*注
    「言葉は人間がつくったのではない、と私は思っています。人間は、大自然から言葉を教わったのではないでしょうか。」
    「国や地域によって言葉が違うのはなぜでしょうか。これも、そもそも言葉が自然の振動によって教えられたものであると考えれば、説明がつきます。住んでいる場所によって、自然環境はそれぞれ違うからです。場所が違えば、自然が出す音も違ってくるでしょう。日本は季節の移り変わりがあって、その折々の自然の音をとても豊かにもっている国です。ですから、日本語には自然の振動をあらわす言葉が豊富にあります。」

    また、「いままでの常識では、人間の思いが物質に影響するなどというと、非科学的であるという非難を免れることはできませんでした。しかし、いまの最先端の科学は、精神や想念といった見えない領域まで踏みこまないと解明できないところまで進んでいます。」と述べられています。

    *注『ヨハネによる福音書』冒頭に「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。・・・・すべてのものは、これによってできた。」と書かれています。
    この「言」というのは、振動(のエネルギー)のことだと解釈します。

    言葉が「神」から与えられたものだとすれば、神=創造のエネルギーということで、言語が持つ無限の創造性も理解できそうです。未来を築くのは、人間の思いであり言葉である、そういうことでしょうか。

  4. Yoshiro Niimura

    5月17日にコメントを戴いていながら返事が出せずに失礼しました。内容が濃いので何と回答しようかと考えているうちに時間が経ってしまいました。

    上質の養分が木の隅々まで届くようにする気持ちの持ち方は大変肯定的で素晴らしいと思いました。呼吸の専門家は足の裏から息を吸う様にしなさいと言いますが、そうする事で酸素が体中に行き渡るのと同じで、上質の養分つまり爽やかな気持ちの持ち方をすると体の隅々にエネルギーが行き渡る気持ちになります。

    毎日生活していると言葉のやり取りだけであっても上質でない養分を貰う機会がありますが、そんな時にこの言葉を思い出して上質な養分で体をキレイにしたいものです。

    新村

  5. Yoshiro Niimura

    5月19日にコメントを戴いています。有難うございました。

    江本さんのHPに入ってみました。波動と言う言葉から受ける印象は物理的な世界で、その測定器は物理的に何かを測定する物だと思っていましたが、心の中の問題に入って行くのが面白く感じました。

    波動と言う言葉から先日旅行をしたGuadalajara県スレート葺きの黒い村を訪れた時に触れた”葉”動を思い出しました。村と村の間には本当に何も無くて自然だけ。そこから聞こえてくる木々の葉ずれの音に体が感じて気持ち良くなっていくのがわかりました。自然の生み出すエネルギーを”葉動”から受けたと言う事でしょうか。

    新村

  6. 葉動

    Pizarraは「スレート、粘板岩」というのですね。知りませんでした。Pizarraは、ブナや栗の木、樫、白樺と、苔むすような雨の風景が似合うと思っていましたが、風に揺れてきらきらと輝くポプラの木洩れ日というのも素敵そうです。そんな風景を思い描くだけで、「葉動」が伝わってきます。葉ずれは木によって声色が違いますが、もしかしたら木にも言葉があって、おしゃべりをしているのかもしれませんね。

  7. 木槌

    素足で草地や砂浜を歩くとき、大地のエネルギーが足の裏からじんわりと伝わってくるような気がします。呼吸にしても氣のエネルギーにしても、大切なのは体内を巡った後に体外に出す(自然界に戻す)ことなのだと聞きました。鼻から吸った息は鼻から、氣のエネルギーは足の裏から返すのだと、気孔の先生が言っていました。「言語の樹木」も、言葉という養分を受けた葉は、光合成の結果糖分を根に戻し(外的刺激による自由意志の成熟)、どんどん根が太く強く伸びるのでしょう。それと同時に心も肥えて豊かになっていくのかもしれません。

  8. Yoshiro Niimura

    その様な心の持ち方で1日を過ごせたら豊かな時間を過ごせるだろうなと思い、実行しています。
    新村

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