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この間しまってあった昔のファイルを覗いてみましたら、90年の3月頃から日本人会設立の準備委員会の記録が残っていて、会合をなんども重ねていたことがわかります。私も、当時は水曜会の会長をしていた関係上、これらの会合にはほとんど出席しておりました。とくに89年ごろから当時の掘村参事官(現メキシコ大使)が、当地在住の日本人社会各層の人々に接触し、日本人会の設立を積極的に働きかけていたのを鮮明に記憶しております。設立の話の発端は、その当時急速にふえてきた日本人のプレゼンスによる摩擦の回避が必要となってきたことであり、そのためにスペイン人に日本人を理解して貰うには、どうしたらいいのか、どんな手段を講ずるべきかといった議論が、当地の大使館の方々や、地元の有識者や水曜会の人たちと間で起こっていたのが、一つの大きな理由でありました。例えば、活動としては、大使館や水曜会が行っているような文化面とか広報面の活動を統一化し総合的な効果を高める。これによりスペイン人の日本と日本人に対するパ−トナ−としてのイメ−ジを創り、相互理解を深めるように努力するというようなことが皆さんの頭の中にあったようです。もちろん、当然のことながら在住日本人の間の相互扶助と親睦も目的の一つに掲げられました。それと、邦人保護のための安全対策上のネットワ−クを作ると言うのも大きな目的の一つでした。
当時の大使は石井大使、次席は掘村参事官、そして日本人関連は佐藤領事(現在当地大使館参事官兼領事)が担当していました。グル−プとしては、レストラン会、旅行会、武道会、通訳協会、地元の商工会、スペイン人を夫にもつ大和撫子の集まりであるなでしこ会、それと企業の団体である水曜会などがありました。レストラン関係では、どん底の矢野さんとか花友の池永さん、旅行関係では宮本さんとか川口さん、商工会からテイミ−ルの田中さん、武道会の山下さん(現会長)、なでしこ会の安部さんと川端さん、ア−チスト会の加藤画伯、大学関係ではマドリッド自治大学の近藤教授、水曜会からは富士通の江口さんとかJALの河村さんなどが代表でなんども会合を開きました。
これだけの異なったグル−プが発起人となって会の設立を企画したので、結構いろいろな雑音も入りましたが、しかし、日本人会設立の気運が強く、関係各位の献身的な努力によって一年がかりで何とか設立まで漕ぎ着けることができました。この間に、他の国の日本人会の規則とか活動状況などを官民一体となって調査に協力したことを覚えております。
ところで、ヨ−ロッパにある他の国の日本人会の状況を調査してみると、一番設立が古いのが英国で、1950年10月です。その次に古いのがフランスで、1958年9月です。そしてベルギ−が1979年、イタリ−が1987年となっております。ドイツは当時調査しなかったので、手許のファイルに記録が残っておりません。この4ヶ国の中で、ベルギ−は日本人会と商工会が同じ釜の中に入ってやっておりました。当地のように日本人の数の少ない所は、できれば同じ組織内に一般部と商工部が存在する簡便な組織の方が好ましいと思いますが、商工部として既に水曜会が設立されており、この中に日本に本社を持つ企業に所属しない地元企業を含めることは無理がありました。それと当地在住の個人の方々を一緒にすることも難しい話でした。
実を言うと、私は初代会長になる予定ではなかったのです。当時の三菱商事の責任者であった細野さんが初代会長になることに関係者の間で内々決まっていました。ところが、細野さんが社命により突然ロンドンに転勤がきまり、私(スペイン三井物産)にお鉢が回ってきたというわけです。いわば、私はピンチヒッタ−であったわけですが、これがレギュラ−として9年間も常時出場ということになりました。ということで、4月16日の設立委員会で正式に会長候補になり、その後6月9日の設立総会で会長就任を要請され、これを受諾する羽目になりました。従って、私は今でも、細野さんを転勤させた三菱商事の人事部を怨んでいる次第です。役員候補としては、副会長に東銀の沢木支店長、レストラン会から池永さん、武道会から山下さん、理事には成田参事官、福森日本人学校長、スペイン富士通の江口社長、加藤画伯、勝さん(通訳協会)、阿部さん(なでしこ会)、安藤さん(自営業)、河村さん(日本航空)、藤野さん(三越スペイン社長)などの方々が候補者にあがっていました。事務所は、グランヴィアにある三越の裏手のモステンセ広場に面したビルの一部屋を借りることにしました。事務局長も、当時在西16年の岡田さんにお願いすることになりました。更に、初年度予算の作成、設立登記、会員募集などやることは山ほどありました。初年度は、特に総務部長の藤野さんとか財務部長の鎌田さんなどが先頭に立ってとても熱心に仕事をして頂きました。
このような皆さんの大きなお力で、1991年6月19日に第1回の総会が開催されて、マドリッド日本人会が無事に発足しました。その後、すぐに会員の募集を開始しました。同年の9月までに法人会員が30社、個人会員が約40名入会しました。私は、この年の3月まで水曜会の会長を務めておりましたので、特に水曜会所属の企業の入会勧誘には人一倍注力いたしました。もちろん、当時の副会長をはじめ理事の皆さん方も大変な努力をされて、当地の在住の企業や個人の入会を勧誘されたことは言うまでもありません。現在まで日本人会が存続できたのも、この時の関係者の努力でかなりの基盤ができたからです。
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